si può fare

si può fare

宮園夕加(Miyazono Yuuka) イタリアの文化の感想は? 一番印象的だったのは「人の明るさ」です。会話の半分が冗談だったと言っても過言でない程、冗談の連続でした。スタジオではみんなといつも笑い「箸が転んでもおかしい年頃」に戻ったような日々を送りました。そして、イタリア人の「出し惜しみしない豊かな感情表現」がとても好きでした。   M&S事務所での研修で得たこと...
スイスの中のイタリア

スイスの中のイタリア

服部シュメーヤ千昌(Chiaki Schmeer Hattori) ミラノから60kmのスイス、ティチーノ州に囲まれたイタリアの地へやって来たのは1998年。日本滞在が長かったドイツ人の相方がリタイアしてからの移住でした。ヘルマン・ヘッセが「わが心の故郷」と慈しみ、後半生を過ごした地がルガノ湖を挟んだ向かい側にあり、自室からその辺りを望むとゆったりとした気持ちになります。...
Gioielli Poetici

Gioielli Poetici

伊藤治子 (Haruko Ito) 親愛なる治子さん 女子美の陶芸科を卒業され、ミラノにいらっしゃりたいとのこと。私は95年3月に工芸科陶芸コース伊藤公象先生のもとを離れ、同年5月末にミラノに来ました。この国を選んだ理由は英語と寒い所が苦手なこと。イタリアのアルテ・ポーヴェラに惹かれていたこと。そして何より自国、家族、友人を離れるのであれば、最低限「食文化が栄えている」こと。美味しいご飯は心も体も癒す。「食」は人を良くする。...
ミラノ良い所、住めば都

ミラノ良い所、住めば都

西尾和子(Kazuko Nishio) 43年前にミラノにあるブレラ国立美術大学に入学、装飾学科を卒業ました。在学中、絵画(テンペラ、アクリル) ・エッチング・陶器絵付け等を学びました。 1960年代は日本においてはイタリアデザインブームで、特に私は建築・インダストリアル デザインに興味がありましたから、イタリアで出版されていたDOMUSの雑誌は イタリア語が読めなくても毎月楽しみに閲覧していました。 イタリア行きを決めましたが、当時は1ドル360円、持ち出し制限500ドルの時代でしたので、海外留学するには大変な時代でした。...
縁で導かれたイタリア

縁で導かれたイタリア

野尻奈津子(Natsuko Nojiri) 日本では1950年ごろからイタリアの映画、カンツォーネ、デザインが紹介され始め、女子美図案科のグラフィックデザインではソール・バス、ブルーノ・ムナーリの名を知った。その頃グラフィックでは先端を行っていたアメリカとは一味違ったブルーノ・ムナーリの遊び心のあるユーモアに富んだ作品にすっかり魅せられ、それ以前から興味を持っていたイタリアにますます魅かれるようになった。...
粘土芝居

粘土芝居

湯崎夫沙子(Fusako Yusaki) 東京オリンピック、1964年友人知人の振る日の丸の旗が波の様に揺れる中を花束を手にイタリアに出発して、もうすぐ60年近くも過ぎ去ろうとしているのだなあ〜。 国費留学生として、その喜びにはそれなりに責任を抱きながらも片道切符で出発!何時また日本に帰れるかと云う不安を胸にしながらタラップを上った・・・なんて自分の事でありながら、大昔の話の様でありますね。...