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Gioielli Poetici

親愛なる治子さん (Haruko Ito) 女子美の陶芸科を卒業され、ミラノにいらっしゃりたいとのこと。私は95年3月に工芸科陶芸コース伊藤公象先生のもとを離れ、同年5月末にミラノに来ました。この国を選んだ理由は英語と寒い所が苦手なこと。イタリアのアルテ・ポーヴェラに惹かれていたこと。そして何より自国、家族、友人を離れるのであれば、最低限「食文化が栄えている」こと。美味しいご飯は心も体も癒す。「食」は人を良くする。...

ミラノ良い所、住めば都

西尾和子(Kazuko Nishio) 43年前にミラノにあるブレラ国立美術大学に入学、装飾学科を卒業ました。在学中、絵画(テンペラ、アクリル) ・エッチング・陶器絵付け等を学びました。 1960年代は日本においてはイタリアデザインブームで、特に私は建築・インダストリアル デザインに興味がありましたから、イタリアで出版されていたDOMUSの雑誌は イタリア語が読めなくても毎月楽しみに閲覧していました。 イタリア行きを決めましたが、当時は1ドル360円、持ち出し制限500ドルの時代でしたので、海外留学するには大変な時代でした。...

縁で導かれたイタリア

野尻奈津子(Natsuko Nojiri) 日本では1950年ごろからイタリアの映画、カンツォーネ、デザインが紹介され始め、女子美図案科のグラフィックデザインではソール・バス、ブルーノ・ムナーリの名を知った。その頃グラフィックでは先端を行っていたアメリカとは一味違ったブルーノ・ムナーリの遊び心のあるユーモアに富んだ作品にすっかり魅せられ、それ以前から興味を持っていたイタリアにますます魅かれるようになった。...

粘土芝居

湯崎夫沙子(Fusako Yusaki) 東京オリンピック、1964年友人知人の振る日の丸の旗が波の様に揺れる中を花束を手にイタリアに出発して、もうすぐ60年近くも過ぎ去ろうとしているのだなあ〜。 国費留学生として、その喜びにはそれなりに責任を抱きながらも片道切符で出発!何時また日本に帰れるかと云う不安を胸にしながらタラップを上った・・・なんて自分の事でありながら、大昔の話の様でありますね。...

イタリアの旅

「終わりなきイタリアデザイン: アルキミア」1985年 六耀社(東京)日・英語版。 1988年にTACO(Berlin)社から英・独語版を出版。 佐藤和子(Kazuko Sato) 女子美では4年間「松川ビジョン」(松川蒸二教授)で、一つのものをとことん観察追及して、アート、デザインに展開していく事を学んだ。...