縁で導かれたイタリア

by | 11/12/2018 | Prologue

野尻奈津子(Natsuko Nojiri)

日本では1950年ごろからイタリアの映画、カンツォーネ、デザインが紹介され始め、女子美図案科のグラフィックデザインではソール・バス、ブルーノ・ムナーリの名を知った。その頃グラフィックでは先端を行っていたアメリカとは一味違ったブルーノ・ムナーリの遊び心のあるユーモアに富んだ作品にすっかり魅せられ、それ以前から興味を持っていたイタリアにますます魅かれるようになった。

そんな折イタリア行きのチャンスが訪れた。ミラノにはイタリア政府奨学金を得られた3年先輩の佐藤和子さんがすでに居住されていたので心強く、大変お世話になり(その頃ミラノの在留邦人は50人位)、そんなご縁でかれこれ半世紀のお付き合いをさせて頂いている。

1学年ブレラ美術アカデミーで舞台美術科に在籍したが、グラフィックデザインとは全く違う分野で全てが目新しく、美術史や服飾史、音楽史の学科の他に実技としてヌードのデッサンの時間があったのは意外であったが、これはコスチュームデザインには欠かせない基礎であった。イタリアは何といってもオペラリリカの国であり、学校で出される課題もオペラの舞台が多かった。 初めて出された課題は“椿姫”。まず背景の時代考証から始まり台本を読んでリサーチ、背景のデッサン、それを一幕ごとにデザインして描き、その絵から透視図を起こして平面図、側面図、更に詳細の図面作成、それを立体にして模型を作る。更にコスチュームをデザインして1つのオペラの舞台が成り立つことを学んだ。

1年間舞台装置をかじったおかげとステージデザイナーの夫の下で実際に演し物が成立する過程を見て、イタリアのオペラに対する関心は大であるということも改めて知った。1つの舞台には200人以上の人たちが関わって成立するのであり、歌い手さんとオーケストラの出来栄えだけを鑑賞しがちになるが、その陰には演出・舞台装置・コスチュームがあるので、鑑賞する側はこれらも含めて鑑賞して欲しいものだ。日本のオペラ観客は耳の方は肥えていても目で見る方はまだ遅れているように思う。ステージデザイナーの地位も低い。

またイタリアは食の文化も盛んである。 そんなイタリア料理に引かれ、30年前からイタリア料理教室を初めて現在に至っている。 とにかくイタリアは飽きない国だ。散歩がてらちょっと視線を変えて上を見ればアールヌーボー様式の建物の窓飾り、バルコニーの下にもレリーフがあったり常に発見がある。