粘土芝居

by | 30/11/2018 | Prologue

湯崎夫沙子(Fusako Yusaki)

東京オリンピック、1964年友人知人の振る日の丸の旗が波の様に揺れる中を花束を手にイタリアに出発して、もうすぐ60年近くも過ぎ去ろうとしているのだなあ〜。

国費留学生として、その喜びにはそれなりに責任を抱きながらも片道切符で出発!何時また日本に帰れるかと云う不安を胸にしながらタラップを上った・・・なんて自分の事でありながら、大昔の話の様でありますね。

女子美で学んだ4年間、当時著名な教授である河野鷹思・坂崎担・西田正秋・柳宗理・松川ジョージの先生方のユニークな授業!特に柳先生が「日本の民芸伝統について語られる情熱に感銘を受けた我々は、財布をはたいて民芸が飾ってある新宿のチョット洒落た「民芸茶房すずや」に通ったり、松川先生の課題「自然の力の探求」を理由にスケッチブックを抱えて新宿御苑の熱帯植物館に行き・・・が、芝生の上で昼寝になったことも。

学生生活は、おおらかで豊かな精神のもとにデザインを学び、女子美名物と云われていたラーメンをすすりながら意欲一杯!
彫塑部まで作り、二科展で銀賞と特選賞を取得して怖いもの知らずで突進しました。

そしてミラノのアカデミアで、ルチアーノ・ミングッツィー教授の教室に入ったら、教授が云っている事がちんぷんかんぷん!辞書を片手に友人の助けでヤット探し当てた教授が私に云われた言葉の意味は「お茶目さん」。1年を終え、その後やっとの思いで試験を受けて2年目の奨学金取得迄はヨシ!良し!

当時TVでの広告は各社1分間。国営TVで夕食時に放映されていて、試しにやった私の彫刻を生かしたアニメーションはイタリアの伝統酒造会社フェルネット・ブランカのシンボルになって広告賞に輝き、私は粘土のアニメーターになっていました。

粘土アニメーションで、イタリア・スイス・日本のTV局に受け入れられ、またもガムシャラ!気づいた時には、もう定年の年齢を突破していました。
制作アイディアは有ったものの、ボツボツひと休みを考え、最後の作品発表と考えて国際映画祭に提出した。途端に3Dと粘土を合わせたシリーズ制作の話が持ち上がったのです!

「OTO(音) and MUSIC」を3Dと粘土のアニメの制作。その行程・修正・音楽・編集すべての監督を、インターネットを通じてシリーズの26本中13本を完成、イタリア国営テレビ局に納品しました。
残り13本は、資金不足でどうなるかと云う現状です。

しかし、この年になって考えもしなかったこの上えない経験を得た事は、神の恵み?その間、作品発表会や講演会で各地に招待されて出かけたりしています。

今年からヨーロッパデザインが大学になり、マスターコースの授業を引き受けたのですが「面倒くさい」と云わずに、何とかボケる前に出来そうな事は腰を上げて努力しようと考えている現状です。