イタリアの旅

by | 07/07/2018 | Prologue

「終わりなきイタリアデザイン: アルキミア」1985年 六耀社(東京)日・英語版。
1988年にTACO(Berlin)社から英・独語版を出版。

佐藤和子(Kazuko Sato)

女子美では4年間「松川ビジョン」(松川蒸二教授)で、一つのものをとことん観察追及して、アート、デザインに展開していく事を学んだ。
1961年女子美術大学芸術学部図案科卒、東京芸術大学図案専攻科(現大学院)在学中に、伊政府招聘留学生として、ミラノのブレラ美術アカデミーに留学。1963年ボネット・インダストリアルデザイン事務所勤務。1970年建築デザイン共同事務所設立。1980年~85年 DOMUS誌コラボレーター、1987年よりOrdine Nazionale dei Giornalistiのメンバー。
現在、金沢美術工芸大学、女子美術大学で、「近代デザイン論」「デザイン工芸概論」担当。
主な著書:[終わりなきイタリアデザイン:アルキミア」六耀社1985、共著「Storia del Industrial Design」Electa 1991 「時を生きるイタリアデザイン」TBSブリタニカ2001、共同編集「イタリア文化事典」丸善出版2013

 

何故イタリアに行ったのか?

1960年の世界デザイン会議(東京)の学生部会に参加して、世界のすごいデザイナーの存在と作品に感動、海外でデザインの勉強をしようと、日本を飛び出す決心をした。イタリアのブルーノ・ムナーリやジオ・ポンティに憧れて、文部省の試験を受けたら運よく最年少で合格。神戸のメリケン波止場から貨客船讃岐丸に乗って日本を出発した。33日かかってジェノヴァ港に到着、ここから私のイタリア人生が始まった。23歳。日本にボーイフレンドもいたが、直ぐ帰るつもりはなかったので、「私、イタリア人と結婚するかも」と宣言。その直感通りイタリア人と結婚。一人娘と今は3人の孫娘がいる。

ミラノでの経験

ミラノは専門職が仕事出来る土壌がある。女性とか外国人である事は障害にならない。イタリアは歴史的にも外国人には寛容で、同じ人間としての付き合いが可能な社会だ。もともと家族主義ではあるが、個人の意思は尊重してくれる。だから、自分の事は自分が責任を持って対処しなければならない。仕事の成功には才能と人間関係と運によることが大きい。そして継続。これは人生も恋も仕事もすべて同じだ。<幸運>はフイと現れ直ぐに消える。幸運な出会いを継続させる事は大事だ。不運に出合ったら、すぐに切り替えて引きずらない事。時々出会う素晴らしい人、素晴らしいモノに感動しながら生きてきた。

恵まれた出会い

私は何事においても、直感にそって行動をしてきた。女子美への入学、イタリアへの留学、最初の結婚。条件は後からついてきた。ミラノの最初の仕事がインダストリアル・デザイン事務所、次は共同建築事務所でインテリア・デザインの仕事、エディトリアル・デザインは、DOMUSとの出会いから始まり、才能ある人との出会いに恵まれて、デザイン・ジャーナリストの世界にハマった。溺れかけた事はしばしばあったが、必ず助けてくれる人がいた。

どっちも大好き、日本とイタリア

現在、私は日本人の夫とミラノに住む娘の家族と、日本語、英語、イタリア語が飛び交う環境に生きている。日本とイタリア、どちらも同じように大好きだ。
イタリアには生活の楽しさと美しさがある。日本には便利性と自然の美しさがある。
イタリアには感動するモノと発見する喜びがある。日本には協働してモノを作っていく喜びがある。

メリケン波止場からイタリアに出発してから既に半世紀以上。今もイタリアデザインの仕事を続けているのだから、あの時の直感は間違っていなかったと思う。そして女子美での「松川ビジョン」の精神は今でも脈々と生き続けている。

目覚まし時計「SVEGLIA」Compasso d’Oro 賞作品 1964年
デザイン: ロドルフォ・ボネット グラフィック: マックス・フーバー
協力: カズコ・サトウ

「時を生きるイタリアデザイン」2001年 TBSブリタニカ出版